差別反対と叫んでも差別は無くならない。

差別はない方が良い。

それは当たり前ですがそんなうまい話はない。

この世界は資本主義で成り立ってますからメリ

ットがすべてです。

損か得か単純な世界です。

差別反対といって差別が無くならないのは差別

する側にとって差別をなくすメリットがないか

らです。

 

ソフトバンク孫正義社長は在日韓国人という

出生のために日本人から差別を受けてきました

が、現在では大企業の社長としてその日本人達

を率いています。差別反対運動で価値観は変え

られないが、強くなれば他人の価値観を変える

ことが出来る。真に差別に立ち向かうためには

強くなるしかないんです。

 

それに、被差別者が本当に望んでるのは差別を

なくすことでしょうか。もちろんそれも重要で

すが一番ではないと思います。

一番は自身の辛い・苦しいという気持ちがなく

なることじゃないでしょうか。

そのために必要なのは差別反対運動ではなく、

メンタル面・実生活面でのアフターケアでしょ

う。現状の差別反対運動は現実逃避にしかなっ

ていない、災害に対して災害反対運動をしてい

るようなものです。

 

弱いから差別される、弱いから叫ぶことしかで

きない。

差別反対と叫ぶのは、弱肉強食の世界で私は弱

いです、だれか助けてくださいとアピールして

いるようなものです。

そんなことをしたらあっという間に食べられて

しまいます。

 

叫んでいれば可哀想だと思ってくれて差別をや

めてくれるかもしれない、でも実際そんなこと

はない。

差別するような道徳心のない人間の心に訴えか

けても無駄です。

それに差別を受けている相手から同情されるな

んて屈辱でしょう。

 

いろいろ書きましたがこんなものは理想論でし

かないのです。差別反対も理想論であればこれ

もまた理想論です。考えれば考えるほど、抗え

ば抗うほどに分かってくるのは差別は無くなら

ないということと傲慢で欲深い人間の愚かさば

かりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

未来人にとってのふたりエッチは現代人にとっての源氏物語?

現代人が源氏物語を読んで平安時代の恋愛を想像するなら、未来人にふたりエッチを読まれる覚悟をしなければならない。─活尾 太子

 

現代人が源氏物語を読む際、平安時代の恋愛に

ついていろいろと想像を膨らますことがあると

思います。

 

その事は古典を楽しむ上で、あるいは勉強する

上で非常に重要なことだと思います。

しかし、あくまでフィクション作品なので書か

れてること全てを間に受けるのはよろしくない

でしょう。

源氏物語に書かれていることは、言ってしまえ

ば一個人の主観的な恋愛観に過ぎないのです。

 

現代の漫画や小説をなんでもいいから1つタイ

ムカプセルに入れて、1000年後に未来人がそれ

を読むとしましょう。

未来人はきっと、その1冊から21世紀の生活や

恋愛について想像を膨らますことでしょう。

 

もし、その本ががふたりエッチだったらと考え

てみてください。

あれが21世紀の男女観のスタンダードだと未来

人に思われてしまったらと考えるとなんだか悔

しくないですか?

タイムマシンに乗って、本当は違うんだ!と説

明しに行きたくなりませんか?

 

以上、平安時代の人も今頃そんな気持ちになっ

ているかもしれませんね、というお話でした。

 

 

 

 

漫画で大事なのは絵?話?結論を言わせてもらえば・・・

どっちも大事(白目)

 

なのですが、

個人的には絵柄で読む漫画を選ぶ人は

それほど多くないのでは?

と思っています。

 

だって、ワンピースとかカイジって

絵柄で選んで読み始めたって人

少なそうじゃないですか?

 

これは、絵が下手だとか絵柄はなんでもいい

ということではなくて、

先入観を抱かせない絵柄だから誰でも読める

という意味です。

 

例えば、萌えアニメ調の絵だと

これはオタク向けの内容なのかな?

劇画調だと

成人男性向けなのかな?

と勝手に想像して

読む前に自分に合うかどうか

を決めてしまいがちです。

 

特定の層をターゲットにしている作品は

その層に合った絵柄にするのが効果的です。

しかしそれでは、

誰もが読むような作品は生まれにくい。

 

世代や性別を超えた大ヒット作品は図らずとも

独特な絵柄、無難な絵柄をしている事が

多いように見受けられます。

 

絵は外観、話は内装

実際に住む時に大事なのは内装の快適さ

でも新居を選び時まず見るのは外観ですよね

外観が好みじゃないと

内装を見るまでもなく候補外に

ってこともありえます。

え、最初は間取り図を見る?

じゃあ間取り図はあらすじってとことにしましょう(汗)

 

というわけで、

最初に書いた どっちも大事 は

このような紆余曲折があった上での

結論だったわけですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このゲーム子ども向けでつまらん!と言ってる人が最も幼稚という話。

 

任天堂のゲームを子ども向けだからつまらない

と批難する人を

掲示板やレビューサイトでたまに見かけます。

 

大人向けにゲームを作れ!

ということなのでしょうが、

こんな発言は全てのゲームが自分をメインター

ゲットにしている、

と思い込んでいなければ

できない発言ではないでしょうか。

 

ゲームをするのに年齢は関係ない

しかし、全てのゲームが自分のためのものでな

ければ気が済まない

というのは大人としていかがなものか。

 

自分が世界の中心

子どもの頃そう感じる人は多いでしょうが、

そのまま大人になってしまうと

こういう発言を平気でしてしまうような大人が

生まれます。

 

大人だからそのゲームが楽しめない、

のではなく

大人になりきれてないから楽しめない

のです。

 

 

子ども向けだと感じるゲームに対して

子どもが楽しんでくれそうだな、とか

子どもと一緒に楽しみたいな

といった考えで向き合える人の方が

立派な大人に見えますが、

皆さんはどう感じますでしょうか。